台湾の鉄道
2013年12月11日~16日
松山空港から台鉄・台北空港へ |
松山空港から、 MRTを乗り継いで台湾鉄道の台北駅へ 昨年の旅で入手した悠游カードに NT$100元を加算し、残高はNT$190元に |
台北駅から花蓮駅へ |
幸いにも、台北13時00分発の 新自強号「プユマ」の指定券が取れた 今年の2月から営業をした「TEMU2000型」 この列車は日本車両製で 新幹線「N700」の振子機能を搭載 営業時速140kmで 花蓮までの所要時間は1時間59分 来年2月に予定されている 花蓮ー台湾間の電化に合わせて 17編成へ増備中 |
車内は、白を基調に 2+2の赤いシートで鮮やかな作り |
NT$440元は約1500円 円安で割高(昨年1元=3円 今年は1元=3.5円になった 全車指定席の完全定員制で 立ち席は発売していない 指定券なしの乗車は 不正乗車とみなして正規運賃の 50%の追徴金が課せられる |
新幹線と同じに座席背面テーブルに 編成図が示されている 8両編成、オール普通車だが 4.5号車には4人のグループ席がある |
旅行者向けには、 トイレの入り口隣に 大型バック収納スペースを設置 |
反対側には、水、お茶、コーヒーの 自動販売機が設置されている |
シャワー付きではないが清潔な水洗トイレ 後ろの壁には日車のポスターが |
トイレの向かいは 多目的室(授乳など)が設置されている ここにも日車のポスター |
オムツ交換台、手洗い場、AC電源 シャワーのようなものもある |
客室との出入り口はボタン式スイッチで開ける |
客室内にも日車のポスターが |
車内検札に車掌さん、ちょっとにらまれた? |
14時59分、終点の花蓮にほぼ時間通り 5分遅れで到着、台鉄の定時運行は珍しい |
右寄りの運転台はデジタル化され 手前のレバーがブレーキと思われる |
花蓮駅構内に留置されていた 「SP32600型」=1975年、台湾製 呂光号(急行)客車列車の 電源車&荷物&職員車 ※呂光号の呂には草冠が付く |
「10500系列(BCK10600型)」 2001年に台湾で製造された 呂光号用の商務車(グリーン車) |
「DR3100型」 1998年製造の東部幹線 非電化区間の自強号用気動車 「DR3000型」の増備車で 製造会社が日立車両から日本車両製に変更 フロントマスクの変更、車内のグレードアップ 3両固定、10編成、総数30両 |
花蓮駅 |
花蓮=ファーリェン 1979年2月に開業 北廻線、台東線の起終点 乗降客は1日・約130000人 |
改札口、切符売場、待合所 平日の朝9時なのに閑散としている |
構内で電源車を入換する「R150型」 1973年、アメリカGM製1次車20両 2次車(1982年製)5両が製造 現在籍は14両 |
1993年から製造が開始された「EMU500形」は 韓国製の区間車用電車 4両固定編成のVVVF制御車 全86編成が製造された |
「40SPK-20000形」は 1981年製の復興号・区間車用の客車 40は車両重量、Sは二等客車 Pは客車、20000は形式番号 |
2007年から運行されている 「太魯閣号」(タロコ号)、「TEMU2000系」 日立製作所製で、JR九州「885系」ベースの 振り子式電車、最高速度は130km 8両×6編成が製造、事故で 1編成が廃車、現5編成在籍 |
花蓮駅からへ |
いよいよ、台東へ 9時30分発、204列車・知本行の 自強号は「3100形」 |
車内は、ブルーのシートで明るい感じ シートピッチも広く、足置きもあり快適な環境 乗車率は高く ほぼ満席状態で立ち席もちらほら 指定券を持たない人が空き席に座っていて、 指定券を持った人が来ると 移動する光景を何度も見る プウマ号やタロコ号は完全指定席だが 通常の自強号は立席券も発売する |
花蓮ー台東間は NT$345元=約1200円、2時間40分 |
トイレは、「プウマ号」のものとは違い シンプルな和式 |
同じ個室内の大用の後ろに小用がある |
便所の前は簡易座席があり 水と紙コップが備えてある |
花蓮を出発して次の吉安で上りの 自強号と交換するのは「DR3000形」 花蓮ー台東間は単線(一部複線)だが 電化工事に合わせて複線化も進めている |
玉里駅で、「DR2700」とご対面 「DR2700形」は、1966年に台北ー高雄間に 特急「光華号」としてデビューした 東急車両製のDC 現在は第一線から退き 台東線にわずかに残るの 黄色顔は踏切事故を受けての 警戒色塗装車両 銀顔は導入当初に復元された車両 今では朝夕しか運転されず日中は 玉里駅に留置されている 今回は時間がなく車窓からの撮影 電化後の去就が心配される |
花蓮ー台東間は来年2月(予定は今年12月)の 電化工事に合わせて各駅で工事が行われている |
下を走る旧線 所々で電化に合わせて新線が作られている |
台東駅に到着 鉄筋コンクリート造りの立派な駅舎 1982年に卑南駅として開業 1992年12月台東新駅に改名 2001年12月、台東駅に改名 2012年の1日の乗降客は約4000人だが 年々増加し電化後はさらに増加する見込み |
駅前も工事中、塀には電化により 「プウマ号」が来ることを期待する写真が 確かに、電化されれば 最速「プウマ号」なら3時間台で 台北から来れるので観光客も増えそう |
旧台東駅 1922年に開業した台東線の終点 1992年に南廻線が開業し 台東新駅に主役を譲った 車両基地があったため 回送列車は運行されていたが 2001年に基地も移転し廃駅となった 廃止後は 台東鉄道芸術村として保存・利用されている |
二面3線のホームは そのまま渡れるように足場が作ってある |
新台東駅の方向 |
台東港へ続く線路跡 |
構内に保存されている「DR2050形」 1969年に東急車両で製造されました。 気動車に併結される付随車で 客車としても使用された 台東線の「光華号」時代の塗色で 3両が保存されている |
腕木式信号機と機関車庫 |
転車台跡が残っているが 三角線が出来てからは 使用されていなかったようだ 左が新台東駅方面、正面が駅舎あと、 右が港方面、後ろが三角線の引き上げ線 |
14時19分着の普快車を撮るため 早めに台東駅に戻る 台東駅は基本的に 乗る列車(15時00分)の出発時間までは ホームには入れないが、 妻の通訳で 撮影であることを頼んだら入れてもらえた |
1970年・アメリカGM製の 「R100型」(105)DLに引かれた 枋寮発台東行の旧型客車「普快車」 南廻線の台東ー枋寮間に一往復だけ残る列車 来年のダイヤ改正でどうなることやら 1両目と2両目は日本製、3両目はインド製の客車 到着ホームが予想と違ってしまい 電化のポールが邪魔になってしまった |
高雄まで乗車する 15時00分発の新左営行、「呂光号」 |
ホームに停留中の客車に機関区から 牽引機「R100型」(136)がやってきた |
電化工事が急ピッチで進んでる構内を 戻ってくる「R100型」 |
掛員の入換誘導で客車に連結 合図は国鉄(JR)のやり方と同じであった |
出発準備完了 706列車「呂光号」新左営行 |
台東から高雄までは NT$279元=約980円 ちょうど3時間、結構な長旅の始まり |
指定された座席は一番前、足元が広々 非常口の関係からか あとから椅子を取り外したようだ |
車端にある給湯室 昔は客室サービス係りが 各車両に乗車していたらしい |
ほぼ定刻に高雄駅に到着 列車は高鐵の乗換駅 新左営まで あとひと踏ん張りと出発していった |
高雄駅の改札口 ここは裏口、MRTは表口にある |
ホテルにチェックインし、夕食を食べに街へ 高雄駅前から2008年に開業したMRT レッドライン(小港ー南岡山28.3km)で 中心部の美麗島へ 高雄ー美麗島間はNT$20元 悠游カードも使える |
台北MRTを基本とした シーメンス社製の3両編成 750V、第三軌条方式 左運転台のワンマン運転 |
車内の様子 大陸の地下鉄の車内より静か |
美麗島駅構内の綺麗なアート 「ザ、ドームオフライト」 なんと ピアノの生演奏までやっている |
12月13日
MRT高雄駅へ |
表口に回れる跨線橋 改札口でMRTに乗りたいと言えば 構内通過券をくれるが 今日は跨線橋からいく |
出発待ちか? 停車中の「呂光号」 |
旧型客車の荷物列車 |
「E200形」(222)と(232)に挟まれ 「R50型」(69)が構内留置されている |
跨線橋から高雄機関区方面を望む 高雄駅は再開発によって 地下化の工事を行っている |
旧高雄駅 1940年に建てられた二代目の駅舎は 2002年3月に使用停止に、 保存のため東南方向に82.6m移動させた 中は資料館になっていて 移築の状況や地下化計画などが展示してある 入場は無料 |
MRTで台湾糖業博物館へ |
日本と違い構内はだだ広い その割に乗客は少ない |
1日乗車券 後方の窓口で購入できる、NT$150元 |
高雄駅からレッドラインで 橋頭糖廠駅へ向かう、 MRTの車内はシンプルでシートはプラ製 |
台湾糖業博物館 |
戦時中の防空壕跡を記した地図 1900年、日本統治時代に建てられた 製糖工場が閉鎖されたあと、 広大な敷地を利用した公園として 鉄道施設が保存してある |
旧駅長宿舎は日本家屋 |
公園内のいたるところに製糖工場で 使われていたDLが静態保存してある 後方の高架は「MRT」 その下向こうには高鐵が走っている |
公園内にオブジェのように展示してある |
1948年、ベルギー・TUBIZE製の 蒸気機関車「353号機」 |
「旗」とある 元旗山糖廠の所属 |
橋頭駅へ |
台湾鉄道 「EMU500型」 通勤型電車(区間車) 韓国製だが電装関係はシーメンス社製 |
MRTに乗って、「左營駅」へ |
列車はワンマンだが ホーム監視が1名配置されている |
台湾高速鉄道の終点「左營」に停車中の 「700T」、将来は高雄に延伸する |
旧高雄港駅舎 1995年に廃線となった、高雄ー高雄港間の貨物線 2010年に鉄道文物館として開放されました。 |
構内には 現役を引退した車両たちが展示してあります。 |
「CT259」=「C55」 1935年~1938年に 台湾向用に9両(C551~C559)が製造された、 戦後は台鉄に引き継がれ 「CT251~CT259」となったが 1982年に全機が廃車となった 「CT259」(C559)は三菱重工業製の三次車 |
「DT609」=「9600」 1923年~1939年に39両が製造された 台湾総督府での形式は「E800形」 戦後、台湾鉄路管理局では「DT580形」となった 「DT609」は、「E828型」で1929年汽車会社製 |
日本製の旧型客車 |
客車列車の電源車 |
長尺貨車を使ったオブジェ=カメレオン |
広ーいヤードは公園に |
高雄(ガオション) |
高雄から台中へ移動 途中で集集線へ寄るため台中の手前 二水まで乗車、予定では 自強号だったが土曜日とあって満席 やむなく呂光号で2時間47分の旅に |
車掌の検札 |
二水に到着、駅前は狭い |
二水駅近くの彰化二水公園に 静態保存されている 「CT270形(CT278)」=「C57」 ほぼ放置状態の展示ながら 保存状態はまあまあだけど 上部のほこりがすごい 「CT278」は1953年(昭和28年)に 日立製作所で8両製造されたうちの1両 戦前の6両との整合性を考え わざわざ二次形で製造された 日本で最後に新製された国鉄型蒸気機関車 |
キャブもそこそこの状態に保たれている |
こちらは、台糖のナロー「345」 高雄の台湾糖業博物館の ベルギー・TUBIZE製の 蒸気機関車「353号機」と同型 |
源泉駅(ユアンチュアン) 1922年1月に鼻子頭駅として開業 1962年に源泉駅に改称、1979年から無人駅 |
集集線、各駅めぐり、 まず最初の駅は「源泉」 小さな待合室以外は何も無い トイレも無い、閑散とした駅」 |
濁水駅(ジュオシュイ) 1922年1月開業、1面2線 1991年に無人駅となるが2008年有人駅に復活 |
駅前からまっすぐ延びる道路にレールがある かつて、ここから台湾糖業鉄道の 濁水線があったことから オブジェとして作ったと思われる |
切符売り場と簡素な改札口 入場は自由 |
濁水駅は集集線で唯一の列車交換駅 下りの車埕行「DR1000型(1003)」が到着 「DR1000型」は支線用の両運転台気動車 1998~1999年に日本車輛で36両が製造された |
上り列車が到着 休日とあって列車は満員状態 |
日本では珍しくなった タブレットの交換が行われる |
構内は広く、側線もあるが 現在は使用されていない |
戦車の近くから分岐する線路(左奥)の先は 台湾陸軍の戦車研発センター その関係で戦車が飾ってあるらしい 手前の線路は集集線、すぐ先に龍泉駅がある |
龍泉駅(ロンチュエン) |
1922年 隘寮駅として開業 1962年に龍泉駅と改名 1979年に無人駅となる 今は片面ホーム1線だが かつては側線があり 対面式のホームがあったようだ |
集集駅(ジージー) 1922年1月に開業、1面1線 1991年に無人駅となるが現在は有人駅に復活 |
集集線でいちばん賑わっている駅 1930年に建てられた日本統治時代の 木造駅舎があり、観光の目玉になっている 1999年の9.21大地震で崩壊するも 2001年に修復された |
駅前広場にはSLのオブジェがあり 観光客が記念撮影のため群がっていた |
駅前広場の隅には阿里山鉄道で活躍し たシェイ式のSL「22号機」が保存してある 1912年、アメリカLUMA製 直立シリンダーとベベルギアーの組み合せで 山岳路線用のSL |
水里駅(シュイリー) 1922年1月、水裡抗駅として開業 1952年水裡駅→1959年水裏駅→ 1967年水里駅に改称 |
鉄筋コンクリートの立派な駅舎 これで1979年から無人駅とは |
駅前の通り、結構賑わっている ここからバスで20分 有名な観光地「日月譚」へいける |
吹き抜けの広い待合室 |
この地域は木材の産地らしく オブジェも丸太1本の彫り物 |
現在は1線しか使われていないが かつての賑わいを彷彿とさせる側線が 何本も引かれていた |
構内側も立派な駅舎 |
無人の改札口 |
終点の車埕駅は有名な観光地で 週末は駐車場が満杯で入れないらしい かなり手前に車を置いて歩くことにした 線路の先、トンネルの向こうが車埕駅 |
正面に明潭ダムが見えてきたら もう少しで左側に車埕駅が見える |
車埕駅(チャーチェン) 1922年4月、外車埕駅として開業 1961年に車埕駅と改称 |
集集線の最終端の車止め |
車埕の木造駅舎 |
駅舎内、出入りは自由 |
トンネルの向こうが二水方面 腕木式信号機はオブジェ 右が木造駅舎 使用線路はホームの片側のみ あとは閉鎖されて列車は来ない かつては林業で栄えた車埕駅は 広い構内に昔の設備が残り、 今は展示館やお土産屋などになっている |
現在は1線のみの使用で折り返す 列車が到着すると乗客がどっと降りてくる |
構内には現役を退いた「S300型」や 貨物車両が展示保存されている |
アイスクリーム屋さん |
手漕ぎのトロッコ、無料で乗れる |
昔の木材加工場と積み出し場 今はお土産屋とか食事処とか |
台中駅(タイジョン) 1905年5月15日開業、単式・島式ホーム 2面3線、台中線(山線)の主要駅 |
1917年に建てられた煉瓦作りの英国風の造り 2級史跡に指定されている |
改札口、自動券売機もあるが 窓口での手売りが主流 |
自動券売機で買った乗車券 成追線経由? |
改札口、日曜日とあって 人は結構多い |
台中→彰化 |
区間車用の乗車券だが ちょうど「E1000型」の自強号が来たので 立席で乗車してしまった |
彰化駅の改札口 自動改札も導入されている |
彰化には機関区と車両基地がある 旧型客車を見ることが出来る 1971年・インド製の「TP32200形」客車 |
この先に、扇型機関庫で 有名な「彰化機関区」がある |
山線廻りの「E200型」牽引の呂光号が入線 |
山線と海線の路線図 成功と追分を結ぶ「成追線」も書いてある 購入した乗車券成追経由 ということは彰化までは行けないの? |
11時02分発 海線経由の竹南行 |
「EMU500型」の区間車が入線 折り返して山線に入る |
山線の混雑と比べると 海線はガラガラ |
彰化から一つ目の追分駅 1922年、日本統治時代に開業した駅 成追線との分岐なので 日本語の「追分」となったらしい いまも日本風の駅舎が残る |
試運転中の「EMU800型」と出会う 流線型の「次世代区間車」 日本車輛で8連・2編成が製造 残りは台湾車両で製造される |
龍井駅(ロンジン)で「EMU500型」 区間列車と交換、海線は単線 |
沙鹿駅(シャールー)に到着 列車は竹南に向けて出発 |
下りの貨物列車が発車していく 牽引機は「E200型」 |
沙鹿駅は新駅舎を建設中 ここは新しい出札窓口 |
ここが現在の旧駅舎の改札と出札 |
手前が現在の駅舎、奥が新駅舎 |
台湾高速鉄道の台中駅 |
ホームから見た景色 左下に見える駅は 台湾鉄道との接続駅「新烏日駅」 |
進入してきた、台北行の「700T型」 この日の午前中に車両故障があったらしく 休日と重なって指定席が満席 2時間待ちの商務席(グリーン車)を何とかゲット TN$1095元、昨年よりTN$95元高くなった |
商務席には飲み物とお菓子がつく |
台北市内 台北に到着 台北駅前のホテルにチェックインして夕食に |
台北から淡水線で、士林夜市に近い 「剣潭駅(チェンタン)」で下車 |
MRTのラッピングがJRの「ガーラ湯沢」 |
朝の眺望、台北駅は改修中 |
台北の駅前広場に保存されている 「LDR2200型」気動車 1955年、台湾製で 1982年の花東線改軌まで活躍 |
同じく駅前広場に保存されている 「LDK50型」蒸気機関車 1923年、日本車両製で 1982年の花東線改軌まで活躍 |
台北駅のコンコース 大きなクリスマスツリーが飾られている |
MRTで松山空港へ |
再び、MRTに乗って空港へ |
松山空港駅の改札口 |
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