梅小路蒸気機関車館
1999年11月

C59-164  C53-43  C51-239




B20形.B20-10
戦中戦後に.入換及び機関車移動用として15両を製造
B20-1が北海道万字線鉄道公園に静態保存

B20-10
1946年.立山重工業で製造.姫路第一機関区に配置
1949年に鹿児島機関区へ異動.最後まで運転されていたB20
1972年に梅小路区へ異動され動態保存されていたが

1979年に廃車となり静態保存となる
2002年に復元され動態保存機となるが車籍復帰はなし




9600形.9633
1913年から製造を開始した.初の国産貨物用テンダー式蒸気機関車
1926年までに770両を製造.他に私鉄.海外用も製造された
1976年3月.追分機関区を最後に廃車

9633
1914年11月.川崎造船所で製造され松本機関区に配置
1972年9月に小樽築港機関区から梅小路機関区へ異動
動態保存されていたが.1979年3月に廃車され静態保存機となった



C11形.C11-64
1932年から簡易線区用に製造されたタンク式機関車
1947年までに381両を製造
小型軽量な事から全国の簡易路線で活躍した


C11-64
1935年3月17日.川崎車輌兵庫で製造され奈良庫に配置
1972年8月.会津若松運転区から梅小路機関区へ転出
動態保存されていたが1986年5月に廃車.静態保存となった


2018年現在.JR北海道.東武鉄道.真岡鉄道.大井川鉄道で
計5両のC11が動態保存されている




現役時代
会津若松機関区
1972年2月



C51形.C51-239
1919年から浜松工場.汽車製造.三菱造船所で289両を製造
18900形として製造されたが.1928年称号規定改正により.C51形と改番
幹線優等列車牽引用機関車として特急つばめ牽引の実績がある


C51-239
1927年3月.汽車会社大阪工場で製造.品川庫に配置
1928年頃から..お召列車牽引機に指定される
1962年10月に新潟で廃車.準鉄道記念物として国鉄新潟教習所に保存
1972年9月.梅小路機関区へ移送.静態保存される




C53形.C53-45
1928年.29年に汽車製造.川崎車輌で97両が製造された
国産初の3シリンダー機関車だったが.
1950年までに全機が廃車された
3シリンダーという機構の複雑さから故障も多く発生し短命に終わった


C53-43
1928年10月に汽車製造大阪で製造、梅小路庫に新製配置
1934年12月.流線型に改造.1947年には原形に復帰
1950年に廃車.国鉄吹田教習所に保存されていたが
1961年9月.復元し吹田ー鷹取工場間で記念走行を実施
1962年からは大阪科学博物館に保存された

1972年9月に梅小路蒸気機関車館に移設に静態保存されている



C55形.C55-1
1935年から1937年に62両を製造
地方の幹線及び亜幹線で活躍するも

1975年3月までに運用が終了し廃車となった

C55-1
1935年3月に川崎車輌兵庫で製造.小樽築港機関区に新製配置
1972年3月.旭川機関区から梅小路機関区へ異動.休車扱いまま保存
1979年3月に廃車となり梅小路蒸気機関車館に静態保存



現役時代
宗谷本線 稚内ー南稚内
1971年7月



C58形.C58-1
1938年から1947年までに汽車製造.川崎車輌で431両が製造された
全国の亜幹線で客貨列車共に牽引できる機関車として活躍

C58-1
1938年8月4日 汽車製造大阪 で製造 新鶴見機関区新製配置
千葉機関区を経て1949年に北見機関区へ転出
1972年9月に梅小路機関区へ転出 1986年5月廃車.静態保存




現役時代
釧網本線 塘路駅
1972年3月



C59形.C59-164
1941年〜47年に173両を製造した幹線急行用機関車
主要幹線で特急.急行を牽引..1970年7月呉線を最後に運用終了


C59-164
1946年7月31日.日立製作所笠戸で製造.梅小路機関区に新製配置
1950年8月に糸崎機関区へ転出.1970年月に第一種休車扱い
1972年9月に奈良を経て梅小路機関区へ転出
1979年3月に廃車.静態保存となる




現役時代
糸崎機関区
1970年8月



C61形.C61-2
1947年〜49年にD51形のボイラーを流用.足回りを新製して
三菱重工業と日本車両製造で33両を製造

東北.九州地区の亜幹線急行用として配置
1974年.日豊本線の宮崎電化に伴い定期運用を終了

C61-2
1948年7月31日にD51-1109のボイラーを流用し三菱重工業三原で製造
仙台機関区に配置.青森をへて1971年5月鹿児島機関区へ転出
1972年9月.梅小路機関区へ転出.1979年に廃車.動態保存
1987年に車籍復活.引き続き.梅小路運転区所属で動態保存




C62形.C62-1
1948年〜49年にD52形のボイラーを流用し49両を製造
初めて自動給炭装置.(メカニカルストーカー)を装着

東海道.山陽本線.東北本線.常磐線に投入し特急.急行を牽引した
晩年は函館本線で急行ニセコなどを牽引し1972年に定期運用を終了


C62-1
1948年1月に日立製作所笠戸でD52-74のボイラーを流用し製造
広島第二機関区に配置.山陽本線で活躍
宮原機関区.広島運転所を経て.1967年7月に廃車

小郡機関区保管.広島鉄道学園保存を経て
1994年8月から梅小路蒸気機関車館にて静態保存




C62形.C62-2


C61-2
1948年5月20日.日立製作所笠戸でD52-455のボイラーを流用し製造
糸崎機関区に配置.山陽本線で活躍

1950年に宮原機関区、1957年に小樽築港機関区へ転出
1972年9月に梅小路機関区へ転出.1979年3月に廃車.静態保存
1987年3月.車籍復活.梅小路運転区所属



現役時代
函館本線 長万部駅を発車する.急行ニセコ
1971年7月



D50形.D50-140
1923年〜31年に380両が製造された貨物用テンダー機関車
9600形後継機として.当初は9900形で製造.1928年からD50形となる
全国で重量貨物や山線補機として活躍. 晩年は筑豊本線で客貨に活躍

1971年に直方機関区の2両が定期運用終了.消滅した

D50-140
1926年11月.日立製作所笠戸で19939として製造.梅小路機関庫配置
1942年から直方機関区に配置.筑豊本線等で活躍
1971年5月.第一種休車.1972年1月.梅小路機関区へ転出.
1979年3月に廃車.梅小路蒸気機関車館で静態保存



現役時代
筑豊本線 筑前山家ー筑前内野
1971年4月



D51形.D51-1
1935年〜45年までに各車両メーカー及び国鉄工場で1115両を製造

全国各地の幹線.亜幹線で貨客列車を牽引してきた
1975年12月24日の室蘭本線での貨物列車を最後に定期運用を終了

D51-1
1936年3月22日.川崎車輌兵庫で製造.稲沢機関庫に配置
上諏訪区金沢区を経て.1964年9月21日に盛岡機関区へ配置
1971年.東北本線無煙化に伴い.浜田機関区へ転出
1972年9月から梅小路機関区で動態保存.各地でイベント運用に就く
1986年5月30日.廃車.蒸気機関車館で静態保存



D51形.D51-200

D51-200
1938年9月30日.鉄道省浜松工場で製造 稲沢機関区に配置
米原区.大垣区を経て1950年5月.中津川機関区配置.中央西線で活躍
1972年10月.梅小路機関区に転出.動態保存機となる
1979年に廃車をなるも展示走行用の動態保存は継続
2017年5月に車籍を復活.SL山口号牽引機として新山口支所へ貸出



D52形.D52-468
1943年〜46年に各車両メーカー及び浜松.鷹取工場で285両を製造
東海道.山陽本線や函館.室蘭本線で重量貨物に活躍
また.瀬野-八本松の補機.御殿場線.山手貨物などでも運用されていた
1972年.函館.室蘭本線の五稜郭機関区を最後に運用を終了した


D52-468
1946年2月19日三菱重工業三原で製造. 沼津機関区に配置区
吹田一区.姫路一区を経て.1960年9月に五稜郭機関区に転出
1972年9月に第一種休車のまま.梅小路機関区へ転出
1979年3月に廃車.梅小路蒸気機関車館で静態保存

D52形は当初492両を製造予定が戦争終了で製造を中止
各製造j所へは.番号割当済みだったことから中抜け番号が発生

285両の製造にも関わらず.D52-468がラストナンバー機となってしまった



現役時代
函館本線 函館駅
1971年7月



DE10形-1156
1966年から78年までに支線用貨客用&入換作業用として708両を製造
全国の支線と入換の無鉛化に貢献したが支線貨物の廃止等で廃車が進んでいる

DE10-1156
1971年.日本車両豊川工場で製造 姫路第一機関区に配置
梅小路機関区へ転出.嵯峨野観光鉄道の予備機となる



現在
京都.嵯峨野観光鉄道
2013年9月







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